世田谷でおでかけ
世田谷城の鬼門除け!玉川八十八ヶ所霊場の一つ、世田谷の「青龍山 勝国寺」
玉川八十八ヶ所霊場第四十八番の霊場の「青龍山 勝国寺」。世田谷駅や松陰神社前駅からアクセスができます。 大きな門は鮮やかな朱色で目を引きますが、入ってみると歴史を感じられる落ち着いた雰囲気です。お参りも兼ねて散歩するのにおすすめですよ。
「青龍山 勝国寺」は世田谷駅から約10分で到着
世田谷線世田谷駅を降りて区役所西通りを北に向かってまっすぐに歩きます。区役所方面へ曲がったところに、赤くてきれいな門のお寺を発見。
気になったので、お参りをしていくことにしました。
朱色が目立つ大きな門にひかれる「青龍山 勝国寺」
門の正面向かって右側には、“真言宗青龍山勝國寺”と掘られた石塔が立っています。
左側には地蔵堂が設置されています。
こちらのお地蔵さんは、徳川時代に農家の方が子どもたちを守る願いをこめて造建されたもの。
今でも子どもたちを見守っています。
門を潜ってみました。
山門の朱色は、吉良家および徳川家15代よりご朱印寺として年12石が寄進されていたことによる、格式の高さを表しているそうです。
こちらは平成12年に建立された新しいものです。
山門から参道に入って左手にある白山堂は、戦火を逃れた古いものです。
「勝国寺」の境内を守るとされている白山大権現、稲荷大明神、青龍大権現、山王大権現がまつられています。
正面には立派な本堂があります。
まずはお参りをして、中を散策することにしました。
堂内は見れなかったのですが後から調べてわかったのですが、本堂のご本尊は不動明王立像だということです。
この不動明王立像は目が金であることから、目金不動とも呼ばれているとのことです。
奥には墓地もあり、結構広いお寺だということがわかりました。
「青龍山 勝国寺」の歴史的に価値ある薬師如来像は有形文化財!
本堂左手には薬師堂があります。
薬師堂の横には説明が書かれた看板もありました。
それによると、ここにまつられている薬師如来像は室町時代の作とされ、世田谷区の指定有形文化財であるとのこと。
終戦後に修復するために胎内を開けたところ、中から1592年の色彩修理や吉良氏重臣名が書かれた納入文書が発見されました。これにより非常に高い歴史資料的価値があるものとされています。
もともとはこの薬師如来像は小田原北条氏から吉良氏のもとに嫁いだ室の持仏だったそうです。
吉良氏は、室町時代に世田谷に城をもっていた武将です。
当時、関東では北条氏が勢力を増していました。吉良氏は北条と血縁関係を結び、そこに従っていました。
吉良氏の住んでいた世田谷城の裏鬼門といわれる方角に位置するのが、この「勝国寺」です。
この場所は西と北が高い崖になっていたため、世田谷城の防衛になるとされていて、砦として防衛の拠点にされていたのではと推定されています。
何度も消失しては復活した奇跡的な「青龍山 勝国寺」
「勝国寺」は今まで何度も火事や空襲により消失と再建を繰り返しています。
1793年には本堂と庫裡を火事によって消失しましたが翌年に本堂を、1803年には庫裡を再建しました。
1945年の空襲の際には、門と白山堂以外はほとんど消失しましたが、その際に消失を逃れて発見されたのが、薬師如来像でした。
薬師如来像を直接拝むことはできませんでしたが、長い歴史を経てこの地にまだあるというのはなんともありがたいことだなぁと思います。
また、薬師如来像と一緒に日光菩薩像も安置されてます。制作年度が薬師如来像とほぼ同じだということがわかり、こちらもまた2006年に区の指定有形文化財になりました。調べてみると年に一度、一月の初薬師には開帳されるそうです。
室町時代の貴重な薬師如来像と日光菩薩像を見られたら良いなと思いました。
ちなみに不動明王様は「勝国寺」のホームページで閲覧することができますよ。
皆さんも機会がありましたら、はるか昔の室町時代に想いを寄せながら、「勝国寺」をお参りしてみてはいかがでしょうか。